拗らせヲタのとはずがたり。

夢を売る王子様に堕ちたヲタクが、突然発生的に徒然なるままに語ります。

わたしの人生の主役は、ほかでもないわたしである。〜ジャニーズWESTが名脇役かもしれない話〜

 

私の人生の主役は他でもない私である。

推しでもないし、恋人でもない。

当たり前のことで、いつだって心の中ではみんな思っていることだ。

 

 

それがどうしたってはなしを、今からします。

だって、夜が更けった深夜0時、ジャニーズWESTがそう教えてくれたから。

 

 

どうも、こんつわ。

自粛ムードの中、好きなものを作っては食べる優雅な生活をしています、とぅんとぅぅんです。

就活はぼちぼち、勝ったり負けたりみたいな繰り返しですが、あまり気にせずに明るく生きています。

多少は気にした方がいいかもしれません。

 

 

 

4月23日をもってめでたくデビュー6周年を迎えたWESTさん。

3月末から予定されていたツアーは中止、4月21日から初回放送される予定だった地上波版パパジャニWESTも収録の関係で初回放送延期となっている。

暗いニュースが続くなか、4月23日、日付が変わったと同時にFCページにUPされた動画を見て、咽び泣くことになった。

 

1人1人のメッセージのあと、「元気いっぱい歌います!」と推しの言葉。

(お遊戯会かな?????ってぐらい元気よく言ってて可愛くて抱きしめちゃった)

 

そして、6周年を迎えたのは彼らであるにも関わらず、「今日の主役は君」とカメラ(つまり我々)を指さし、「最高の君に告ぐ、世界中が愛してる」と歌う7人。

なんだこれ?お誕生日迎えた人がなんで私におめでとうって言ってる??????

君らが主役だし、最高な君らが世界中から愛されてるんだよ?????

 

と、まー理解できない状況が広がったわけでして。

 

 

もちろん、7人一つのカメラに収まらず、みんな離れた場所から1曲歌いながらケーキをリレー(している風に演出)して、デビュー記念日にそういうことを提示してくれることとやってくれることに尊さを感じ出た涙もある。

 

でも、なんかこう、もっと違うことで泣いちゃうんだなと思って。

 

考えてみたのよ。

考えてみた、というより、なんとなく彼らが私にくれているものの輪郭を初めて見つけただけなんですけどね。

 

 

 

 

 

彼らはいつも、私が私の人生の主役であることを、忘れちゃいけないよって言ってくれる存在だとおもう。

当たり前だし、もちろん、みんな心得ていることなのに。

 

ときどき、わたしに向き合うのってすごくめんどくさくなるし、やっかい。

悩みや問題は複雑なのに、人はそれに対してすごくシンプルな解しか持ってないから、どうにもならない、みたいなことがあると思うの。大人になるとたぶん。

 

そういうこと、全部放り投げて諦めるのって簡単だし、それが出来ちゃうのがまた世の中なんだよな。

でも、ジャニーズWEST見てると、背筋がしゃんと伸びる。

 

私は、私の物語を描く責任があるし、私の手で選び私の足で進む以外に進める方法はない。

 

それを、歌を通しても、生き様を通しても毎回思い出させてくれる。

 

 

 

 

1年少し前、彼らは君らしくいることを強く肯定し、自己肯定感を養ってくれるアイドルだと書きました。自分を認めること、受け入れること、愛すること、信じることを何度も何度も歌にしてくれるアイドル。

 

 

それを踏まえても、数多のアイドルやタレントが居る中で、ジャニーズWEST「人生を添える(ことを自覚して振舞っている)アイドル」なのではないか、と思うのです。

 

誰かの物語の脇役として、誰かの物語を飾る。

そのために活動している、とかそういうんではないけれど、君は君の物語を大切にしなさいね、というベースは常にあるんではないかなと。

 

めんどくさがり屋なので説明が下手で、うまい言葉が見つからないんですけども。

 

 

相互に独立した、自由な、アイドルとファンの関係性が成り立っているなぁと。

今年の頭に「大人の数いらない系アイドル」とジャニーズWESTを形容したnoteを読みましたが、その中で語られていたジャニーズWESTとファンの関係ってほんとその通りで。

 

「僕の物語と君の物語はぜんぶが同じとはいかないけれど、一瞬一瞬重なりあうところがいくつかある、そのときは一緒に楽しいことしようね、それ以外はちゃんとお互いに頑張っていようね」みたいな。

 

共依存のない関係性。

 

 

でも、その一瞬、誰かの物語と重なるとき、彼らはいつもその中で脇役になる。

 

ライブのとき、「楽しかったですか?」よりも「楽しかったで!」というのが多いのも、「皆さんにいいことばかりが起きますように」と言ってくれるのも。

つまりはそういう、心身共に独立した関係の中で、それぞれに歩む道を照らすためのわずかな光みたいな存在であるという自覚からなのかなぁと。

 

 

彼らが生み出すものや与えてくれるものは、そういう意図を自覚したものたちばかりに見えてしまった。

 

もちろんそれは珍しいことではないのだと思う。

誰かの夢を背負う人たちはみんなそういうことを思っているのかもしれない。

 

それでも、

 

彼らは彼らの物語を全うし、主人公として生きていながら、私達の人生には花を添える。

 

そのどちらをも両立し、うまく現実と夢をぐるぐる混ぜて、見せてくれる。

 

誰にでもできることでないし、ジャニーズWESTの魅力のひとつって言えるような気がする。

 

 

昔、オタクは、彼らの人生の副産物みたいなアイドル生をむしゃむしゃ貪っているのだと思っていたんだけど、そうではなかったなと思い知った。

 

 

少なくともジャニーズWESTは、そんなオタクか彼らのどちらかを消費するような関係ではなく、それぞれの責任と意思で、見たり見られたりしている。

 

 

お互いに自立しているからこそ可能なアイドルとオタクの在り方なのかもしれない。

スタイルや見てくれではなく、もっと本質的な部分で、主役として、脇役として、みたいな主客のスイッチをコントロールしている人たちだなと思った。

 

 

 

恥ずかしながら、6周年のFC動画でやっとそれを理解したので、自分のために書いておきたい。

 

 

 

 

わたしの人生の主役は、ほかでもないわたしである。

ジャニーズWESTさんはエンドロールの3番目ぐらいには名前載せたいし(今のところ)、エンディングソングも歌ってもらうけどね。